我が家が悲鳴をあげた日のこと

14日 に続いて16日 の熊本地震に、私は眠れない日が続いています。
5 年前の東日本大震災によって、亡くなった父親が建てた小さなビルで、母親は芋ようかんのような我が家と言っていました。そのペンシルビルのあちらこちらに 亀裂とコンクリートのかけらが数カ所に落ちていました。その後の余震でギシギシ、立て付けの悪い戸棚はコトコトと鳴りつずけ、そのうちパラパラとコンクリートが落ちている音が続きました。
とうとう私は泣き止まない我が家に悲鳴をあげていました。思い切って、思い出を残したまま、我が家を去る決心をしたのです。
やはり5年 前のことが昨日のように思い出され、あまりに度重なる悲惨さに私は言葉を失い、ブログを綴ることも出来なくなりました。
しかし逃げないで、遅ればせながら続けることとします。