祖父の背中

今朝の日経新聞の文化面に臨床哲学者の鷲田清一先生が、お父様のお盆のお墓まいりについて子供の頃から、今日に至るまでの先生の心模様について率直に著されています。

鷲田先生には大阪大学にご在籍の時、研究室に仕事でお訪ねしたことがあり、当時のことを懐かしく思い出しました。
現在、お墓の後継者の減少化が進んでいるそうですが 、少子化や故郷を離れているといった理由からも疎遠になっているのではないでしょうか。
夏休みになると、祖父の元で3日から1週間過ごすのが小学校から、祖父が亡くなる中学校までの夏休みは、一つの習慣になっていました。
祖父も私の身体の弱いことは心得ていて、毎朝お盆の時期にはお墓参りに出かけますが、無言のまま後ろからついてくる私を何度も何度も振り返り、確認してくれるような優しい祖父ですが、無口といいますか、何をするときも黙々としているために、祖父の声が記憶に残っていないといえるのです。
ただ、一日の祖父なりのお務めが済むと必ず仏壇の前で、大きな声で膝をさすりながら何かを盛んに頭を下げて頼んでいるようです。
ある日、祖父の背中に近づいて耳を澄ませると、聞き取れました。
ご先祖様に始まり、亡くなった息子や孫娘のこと、自分の膝の痛み、そして私が元気に育つようにと手を合わせていました。
祖父は耳が年々、遠くなっているせいなのか、自分から話しかけることが少ないのですが、仏壇の前の祖父の背中から歴史の重さのようなものを感じました。