栗を剥かないか

今年も栗の季節を迎えました。かつて銀座で美術の仕事をしている頃です。

どんなに小さな会社でも決算期があります。10月が決算月でした。
創業1年目は赤字になりましたが、なんとか毎年、赤字を出さすに済ませることができました。
必ずしもマネーの神様が微笑んでいるとは限りません。
帰宅すると、父は茹であがった栗をテーブルに置きながら「マリ子、栗を剥くのを手伝ってくれないか」
とナイフを差し出します。
なぜか、栗剥き用ではなく、ペディキュアナイフに近いものです。
父と黙々とただひたすら、栗と格闘しています。
「何か考え事がある時は、手を動かすといいよ」今でいえば、まるでツイッターのようにポツリと。
なんでもないように栗剥きは続きます。
手が痛くなり、私はスピードが落ちるばかりです。
「もう十分だね、助かったよ。お茶でも飲もうか」
私がお茶の準備をしている間に、テーブルには先ほどとは異なる綺麗な栗の姿をとどめた栗がお皿にあります。
手先の器用な父は、既に数粒の栗を私が帰るまでに剥いていたのです。
憎いね。お父さん。全てお見通しとは。