今日は天気予報によると風冷えとの注意報に、確かに寒い。
うっすらとガラスが結露に近い状態で、紅葉前線の南下が現実に感じる季節を迎えています。
昨日のアイパットと9月に岩波新書から刊行された中村明氏の「日本の一文 30選」を持参していましたが、ページを開くことなく帰宅していました。
昨日の疲れもあり、お天気も冴えないので、私にとっては魅力的なタイトルでもあり、ワクワクした気持ちでした。
体力と耐力のない私は短編が親しみやすく、編集時代もよく短文で明確に伝えるように指導されていたせいもあり、実は今のような文体は私から言えば、説明が過ぎて本当は避けたいのですが。
筆力もないのに生意気を申し上げます。
「日本の一文 30選」に日本の芥川龍之介の『侏儒の言葉』から「人生は一箱のマッチに似ている。が取り上げられていました。
確か私も読んだ記憶が残っています一文を見つけ、私もまんざらでもないかと思いました。
マッチといえば、マッチの老舗がクローズするような報道を最近聞きましたが、童話にも「マッチ売りの少女」もあり、時代とはいえ寂しさを感じています。
ところで、私はこの一箱のマッチは、使い方によって、灯りを灯す役目と、軸の方は角で傷つくといった二面性を持っていますことこそ、人生なのだと思っています。
人は自分でも解決が難しい時は、相談相手を求めますが、私はこの相談相手で後に、後悔をした苦い経験を持っています
友人であったり、尊敬している先生や、話しやすい親戚のおじさんやおばさんだったり、あるいはお付き合いしている相手だったり、見渡せばたくさんいます。
しかし、あらゆる点で冷静にバランス感覚と常識と知識を持った方は、逆に少ないと私の失敗から考えています。
一方的に相談相手が思い込んでしまうケース、上から目線で、いつまでも相談相手が成長していることに気付かないケース、自分の考えを一方的に勧めるケース、ズカズカと介入してくるケースなどなど。
相談相手に対しての情報と相談される立場の広い視野と、相談相手の情報から適切で平常心を失わないで、相談相手を信じて、幾つかの選択肢になるヒントを提供することではないでしょうか。
つい、苦しんでいる相談相手に、心配のあまり、多くを語りたくなりますが、情報量が多くなれば迷うだけで、助けを求めて相談相手を広げていくというスパイラルに陥ってしまいます。
一度、元の自分に戻ること、表現が誤解を招きそうですが、静かにスタート時点にリバウンドすることも必要ではないかと、自分の失敗からお話しました。