先日、尊敬する方からの宿題であった宮川徹志著の「僕は沖縄を取り戻したい~異色の外交官・千葉一夫」についての読後感をお伝えする機会ができました。
素直に私は、「このような時代こそ気骨のある千葉一夫氏のような方がいらしてほしい」と一言だけ、多くを語らなくても、気持ちを受けとめた表情から、私自身ふっと、あのような書籍に巡り合いたいといった虚脱感と、夏の疲れを感じ始めていた。
そういった状況に陥った時は、あれほど断捨離、断捨離といって処分して
いるつもりだが、新聞の資料だけがまだ残っている、残してある。
まだ記憶に新しい新聞の記事を思い出した。
2018年8月14日の日本経済新聞の文化面に、写真家の山村善太郎氏の「街の御神木に根付く伝承」に掲載された写真に見覚えがある。
記事によれば、「岩手県名の由来ともされる岩」の写真である。
2015年9月に岩手県立中央病院の「ボランティアひまわり15周年記念」の講演依頼の翌日、数名のボランティアさんに案内された三ツ石神社の「鬼の手形」といわれる巨岩である。
山村氏の記事にも紹介されている通り、『鬼に「二度と悪さをしない」という誓いの手形を岩に押させ、人々が鬼の退散を喜んだという伝説が残る』とある。
実は、この巨岩に「鬼の手形」が残っているそうで、それを見つけると、幸運に恵まれるとのことで、私もその幸運に挑戦するも、相手は年月も
経ており、またあまりにも巨大すぎる。
欲と道ずれに10分ほど探したが、とても叶わないと知る。
せめてもと、自分の手で感触を確かめるに終わった。
本来、美術の仕事をしている頃は、出張が多く、日曜日にはゴルフにと
生活に変化があったが、最近は同じ日常のリズムに疲れを感じていた時だけに、前日は、病院の院長先生を始め、賑やかに15周年記念を、また郷土料理も十分食した翌日だった。
「石川啄木の新婚の家」や、国立岩手大学では「宮澤賢治センター」で、また大学の構内の自然の樹木の素晴らしさに離れがたいものを覚えながら、帰郷した。
出張が決まり、新幹線では仙台までしか利用の経験がなく、仙台を過ぎた頃から、社内の温度がグンと下がった記憶を思い出した。
本当に、初めての土地で温かく迎えられることは印象深く残る。
さて、私の「手形」は今後の運がどちらになるのだろうか。
また。断捨離に新聞だけは加えていない成果でもある。