2018年4月12日の日経新聞の朝刊を開いて、両面広告の迫力に驚いた。
1968年4月12日に、日本初の超高層ビルと言われた「霞が関ビルディングの竣工式の写真が掲載されていた。
記憶を辿れば、国電有楽町駅と新橋駅の間に、まさに空に向かっっているそびえ立つビルの姿が刻々と変化を見せ、威風堂々として行く過程に興味を持った。
その前年の1967年に私は卒業論文に、「首都圏における超高層建築の実態」をテーマに取り上げていた。
大学の研究室で、マスコミのメディア論を専攻し、一方で都市計画も欲張って専攻していた。
既に、霞が関ビルディングの情報についての講義に、関心を持ち始めた。
将来の首都圏のビルディングの高層化のニュースを聞く機会が増えた。
何かに突き動かされる様に、首都圏の問題であれば、都庁で情報が入手出来ないかと、思い付いた時は都庁に電話をかけていた。
当時の都庁は現在の東京フォーラムの場所に、幾つにも分散された建物の記憶がある。
事前に事情を話し、アポイントも入れていたこともあり、担当者が快く迎えてくれた。
今で言えば、セクハラと思われる「女性でよく高層建築に興味をもちましたね」
年期の入った木製のテーブルに、いくつもの資料を提示してくれた上に、その資料についてもわかりやすく、かれこれ小一時間をかけて丁寧に説明をしてくれた上で、資料の数部まで渡しながら「女性が関心を持つ時代になったんだ。兎に卒業論文、頑張って下さい」
それ以来、有楽町駅と新橋駅で、生き物の様に進んでいく建物を見るのが、日課でもあり、楽しみになった。
約一年後に、地上147メートル、36階建の霞が関ビルディングが完成した。
その竣工式では、椅子がなければそり返るほどの高さであったことが、当時の写真からも分かる。
それ以来、建築にも興味を持つようになった、私の新しい歴史の1ページといっても良い
これを機会に私の人生にも、まだ何jかしらの変化が徐々に芽生えてくる予感めいたものを感じ始めた。