いつしか心から離れない存在

私の心の中で、夏というのに、何とも言えない隙間風が吹いているのを感じて久しい。

恐らく異常気象の続く今年の夏、毎日同じ時刻に乗って、同じ道をと言った生活に、物足りなさを感じていた。嘗て、現役の頃は、週に2回ぐらいの 出張を繰り返していただけに、今回の故郷は61年振りということ、そして行き詰まっていた毎日繰り返される日々に変化を求めていた私には、あまりにも故郷が輝き、初めてと言っても過言ではない程の故郷の良さを知ったこともある。
自分も含めて、何と心ががさついているのだろうかと、情けなく、故郷の人の笑顔とさり気ない温もり、優しい空気が、何時も頭の片隅にあった。
今日から我が故郷の小学校の2学期が始まる。元気いっぱいで校歌で送り出してくれた子どもたちの顔が思い出される。
何か胡椒の様に、ピリッとしたものが欲しい。
見つけました。
2018年の8月14日、日経新聞の「春秋」欄に拠れば、島崎藤村が、9歳で信州の馬籠を離れた後、ずっと後に、地元の小学校で講演した時の故郷への思いを述べている。
「血につながるふるさと  心につながるふるさと  」言葉につながるふるさと」
そしてしばし絶句したという。
校長先生からは、偶然ですが、私の気持ちを察したか様に、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの 」と包み込んでくれました。
 
戦争のために疎開した先で、こんなに私の心を潤わせてくれるとは、想像もしていなかった。