四つの目の「青天の霹靂」

その場で私はこの年齢に達しながら、いかに能天気かと時を追って知らされる。

嘗て、この紙面を借りて「青天の霹靂」を、私は善意の表現と思い込んでいたが、バッドな意味がある事を知った次第である。
何時もの様に、手元にある思い出の辞書の三省堂の新小辞林に拠れば、「青天に急に起こる雷。思いがけない事件に・変動が起こるたとえ」とある。
これまでの浮き足立って喜びに満ちた「青天の霹靂」とは違うではないか。
何と楽天的に考え違いというか、思い込んでいたのだろうか。。

そのグッドな「青天の霹靂」に気付かせてくれた相手に感謝をしなければならなかったのである。

今年の前半は、本当に人生の中でも、数少ない幸せを感じた事で、十分である。
人生には嘗て、中野東禅氏から、「人生にはマサカ」という坂があるという講話を聞いた事を思い出す。

その「マサカ」こそ、「青天の霹靂」の雷であった。
直接私に落雷して欲しかったが、他の手段を選んだ。それも一つの手段であり出来うる事なら、私はその場で処理したかったが、後に知った事だった。

異常気象の今年は、この雷がいつまでも鳴り響くだろうと覚悟、静観していた。

雷鳴より、又、新しい仕事が用意され、信頼に応えるべき為に、私の中では、遠雷に変わっていた。。