故郷が私を包み込んでくれる

今、故郷に向かう新幹線の車中で、ブログを書いている。

7月中には、自分の今後の軸をしっかり決めたい、決める積もりでいた。
まさしく、我が故郷も梅雨明け宣言が出された。何という不思議な巡り合わせと思った。

故郷の駅に近付くにつれて、深まる取り留めのない高揚感には自分でも驚いている。
既に実家はないが、我が母校の小学校では、「お帰りなさい」「ただ今」が当たり前になった。

肉親に縁の少ない家系である私は、現在は社会的には、所謂「独居老女」である。
そのせいか、日常的に当たり前の挨拶に心が熱くなる。
もしかしたら、世間でいう「里帰り」を、私は求めているのかもしれないという想いも過ぎる。

私の持っている些細な経験値が役に立てることぐらい、幸せな事は無いと自分に言い聞かせている。
故郷に一歩距離を置いて、観ると地元の人は至極当たり前の日常から、私は気付くのである。

先日、カナダの友人から「故郷が心の糧になっているから、移住するのでは?」とメールが届いた。
然し、私は適当な距離感を保つ故に、故郷への新鮮な視界が開けて来ると考えている。

年齢的にも都会のスピードのある生活が、逆に故郷の温かさを感じるのである。
このライフスタイルが、主治医からも「ベスト」というお墨付きも頂いているのも心弾む。

これからは、父親の「恩送り」を生き甲斐を持って生きていこうと、帰京の車中で決まった。