二人の母の命日

今日8月10日は、私の二人の母の命日にあたる。
一人は、疎開先の岡山の産みの母親である。
もう一人の母は、中学校の国語の先生で、嘗て、母校の小学校の先生が、私の文章力を見出してくれた後、中学校でも同じ様に文章力に心を注いでくれた先生です。

機会ある都度、出来るだけ毎日何でも思いついた事で良いから、書き留めておく様にと気に掛けて、穏やかな口調で私が在学中、励ましてくれた先生です。

出来栄えは別として、今日の私が言葉探し、文字化する下地を作ってくれた母の様な、母の存在です。
17歳で、上京した後も、在学時代と同じ様に励ましの手紙を頂いた。

その後、私が宿泊関係の竣工式場で偶然、「淺野マリ子さんじゃない?どうしてここにいるの?」
「実はこちらで、アートコーディネーターのお手伝いをしたので、私も式典に来ました」

そう言えば、美術の仕事の報告はしていましたが、名刺は渡していない事に気付きました。
「マア、名刺を持ってお仕事する様になって、大切に持っているわね」

実の母親は7カ月の未熟児で生まれた為に、虚弱児で病気がちの私を案じているばかりで、穏やかな、優しい表情とは縁遠く、常に私の健康状態を観察する記憶が強く残っている。

その為に、何をしても微笑みで私が遠くにいても何時も案じてくれる中学校の先生とは対照的な二人の母親でした。

その二人の母は奇しくも、1997年に生母を、その33年後に旅立たれたのでした。