八月を終えて

今日で暑く熱い八月が終わる。
今、私にとって八月を珍しく振り返る気持ちが湧いて来た。

勢い良く、先ずはこれまでの私のパソコンを始めタブレット、スマートフォンは、必要において一時凌ぎで、何とか誤魔化して来たと思い、学び直しを決心、ほぼ連日一時間パソコン教室に足を運んでいた。

然し、何故かレッスンに集中出来ない自分に疲労感しか覚えない毎日だが、勝気な性格のみで乗り切って来たとしか思えない。
そして今、確かに、2020年に対応する為には避けられない事だと冷静に理解するも、能力というか記憶力が持続しない自分に気付く毎日だった。

また目まぐるしく変化や更新に対して、私にはその表現方法に威圧感を覚えるからだ。
何時も機会に支配されて、何時までこの状態が続くのだろうか。
遂には、一切合切、唯の固定電話とメールだけに絞った環境下に戻りたいと苦しむ日々もあった。

これが加齢というものだろうかと、想う一方で、私は、小学校時代に協調性に一部欠けていると指摘された性分は、未だ体に残っているのだと思い当たるのは、よく私は「エクセル」が苦手という点からも、
アナログ的表現だが、「枠」内に収める行為に一瞬、拒否反応が起こる。

一方で、思い掛けない出逢いや、表現力や文字化する作業の機会が、私を元気にしてくれた。

今、小学校時代に自分を置いて、多様化する未来に向かってどの様な未来図を展開すれば良いのだろうかというお手伝いをしているが、数日前の主治医からも、そのライフスタイルが心身共に相応しいとの判断に、相性の悪い対象者、対象物にどう向き合うかをしみじみ考えた暑く熱い八月だった。

資料整理していると、こんなメモが見つかった。
米長邦男名人が、「笑顔と謙虚さと優しさが勝利の女神を味方につける為に不可欠」であると。
猛暑で言い訳する気持ちはサラサラ無く、確かに素直に米長名人の名言が該当していた。