今日しかない

最近は自分の健康管理とそれに伴う話題に拘っているのが、自分でもよく解っているが、確かにその効果は顕著である。
健康面には、自分で気を引き締めていけば良いとの結論に至ったが、もう一つ数年前から何時も頭の隅から離れないボランティアをどのタイミングでピリオドを打つかという想いがあった。

幸いに、ボランティアに代わるべき生き甲斐がスタートしているが、組織の中の小さなコマに過ぎないが、相手の立場も考えると、結論は出ているがなかなか切り出すに時間が掛かっている。
大好きな断捨離であれば自己責任の範囲で片付ければ良いのだが。

これまでに、アッサリと「ボランティアさんだから仕方ないわよ」「ボランティアなんだから、そんなに責任を感じなくても」とか、恐らく私を気遣ってと察するが、そもそも、ボランティアは自らの意思で希望し、それに対して自分が責任は持つべきと考えている。

それ故に、相手に自分の意思を伝えるのも、責任を持たねばと思って、ついついモヤモヤが続いていたが、全く霧が晴れた様に突如として「今日しか無い」と思った時には気が付くと、文字化していた。
こんなにスンナリ進むものを今まで何をしていたのだろうと、自分の変化に自分自身が呆れてしまった。

何と憑き物が落ちた様に、スッキリと思い煩う事から解放された安堵感に、今夜はゆっくりと美味しい食事でもと誘惑が、脳裏を掠めたが、直ぐにブレーキをかける力が働く迄に、ある意味で体力の回復により意思も強くなったと思った。

色々な渦中にいる時は、どうして、何故とか、行きつ戻りつしている時間がともすれば無駄に思えるが、決して無意味ではなくその時の経過によって、熟成されていくのだと、改めて学んだのである。