諦めると受け入れるとの違い

昨夜から、政府で検討されている首都圏他に対する緊急自体発言の報道で喧しい週末を迎えている。

もうこの新型コロナウイルスには、もうどうする事も出来ない。
決定的な解決方を未だ模索中といってもいいと言える。
そのくらい、未知の奥行きの深さに、尽力を尽くしている関係者には厳しい発言かと非難を承知で、奥深い未知の敵と戦わなければならないのだ。

明日は、私のふるさとである母校の小学校の始業式である。
その前に、今日を限りに、私は、凡そ二年間の母校やふるさとの想い出を大切に心に秘めて、もう、素晴らしい想い出だけをもって、ふるさとへの帰郷は諦めたというか、現実を受け入れる様と決心した。

本来の私は、諦めるという考え方は、良しとしないが、今回は、新型コロナウイルスの現実を受け入れるという意味である。

ノーベル受賞の山中教授のホームページに拠れば、逃げずに真正面から真実を伝える事実から、早々に簡単に長期に亘る可能性を伝えている。
人は、出来るだけ酷な辛い現実からは目を背けたいと思うが、逃げない勇気が最も必要とされているのである。

正に、今回は自己責任をしっかり受け止めて、責任を持つことでは無いだろうか。感染しても、それは自己責任によるものとして、日本人が大人になるという事を試されているというか、新型コロナウイルスで、国際人としての大人への成長の機会かとも、私は批判を承知して、この様に想って来るまでに辿り着いた。

もう、全ては受け止めて平常心で、当たり前だった日常生活の有難さを思い直す機会と、諦めるのではなく、勇気を持って受け入れる迄には、私も苦しんだが、明日から如何なる事にも平常心を忘れないで行きていきたいと心に言い聞かせた。