北里柴三郎博士の言葉にスイッチ入る

今日は八十八夜、香りも清々しく新茶の季節です。

自然の素晴らしい力に、何時迄も、新型コロナウイルスの情報ばかりに、些か私は、
未だ残っている自分では気が付かないというか、後向きが続く日々から、自力で解放しなければと、或いはある意味で、コロナも変容するそうだが、此方も変わって行かなければと、想う様になってきた。
後向きへの忍耐の精神的限界と言えないだろうか。

断捨離の到達点に近くなって来た矢先、2011年7月1日発行の誌名「雷(いかずち)」に、北里柴三郎博士の再出発への決意を墨痕鮮やかに認めた七言絶句を見つけた。

その七言絶句をご紹介する。
「奏功一世豊無時   奮闘由来吾所期   休説人間窮逹事  苦辛克耐是男児」

別途大意も添えてあるので、此方を加える。
「何か事を成し遂げようとするには一生をかけて努力しなければならないというのが私の心に期すところである。この世の中で不運にみまわれたからといって嘆いてはいけない。難難辛苦に耐えてこそ男児であろう」

最後の「男児」を、私は「女児」にも該当する時代になって来た。
博士によれば、「予防医学は実学たれとの信念」は、新型コロナウイルスにあたる「3密」が重なるのである。

ともすれば勢いに任せた断捨離で見失う可能性もあったが、私のファイルに残されていたのである。
断捨離、断捨離といっても、極数量だが、どうしても残しておきたいファイルを持っているが、その中に残してあった。

人生には思いがけない今回のような新型コロナウイルスの洗礼を受けるような時にと、私のメンタルケアの治療薬と言える。