「あさくちブルー」よ、永遠に

昨日のふるさとへの精神的別れを告げる想いに、これまで、私は、美術の世界を終える時も、次なる病院ボランティアにも区切りを決意した際、必ず、細やかではあるが、何らかの足跡を残してきた。

今回もブルーインパルスのスモークに託した約束の足跡になる物を探し始めた。
これまで、お世話になった母校を含めて、私は、段々胸が締め付けられる程、辛く、いつしか、涙で、作業を中止しながら、梱包をした。

唯、私の想いを悟られないようにと、何時も通り、さり気なさに努めた。
梱包を終えた後、私の中に、複雑な達成感を感じたのである。

人との繋がりには、必ず別れがあるのは至極当然であるが、時間的に早くなるか、長く続くかだけの違いである。

後は、もし、新型コロナウイルスが完全に終息、収束するとは考えられず、もしかして、県境の往来がが自由になっても、大切なふるさとに余計な不安を持ち込む訳にはいかないと、私は、また奥歯が痛くなっても耐えなければ行けないとの想いがある。

取り敢えず、母校に感謝の気持ちを伝えるミッションは、来年の3月末迄、任期が残っているのが、唯一の私の生き甲斐である学校運営協議会に、東京からお手伝い出来る事ではないかと思っている。
残念ながら、未だに閃かないのが悔しい。

昨年立ち上げた際のお手伝いこそ、私の足跡では無いだろうかと、自分に言い聞かせているのである。

来週、郵便局が、私の想いを運んでくれる。