令和2年という月を先日で終わり、残りの半 年を如何に生きるかと宿題が突きつけられている。
私は、コロナみ対しては夫々の専門家に任せ、如何なる時にも笑顔を欠かせない毎日に、後ちょうどの折り返し地点の令和2年の後半を過ごしたいと想っている。
恐らく、母校の学校運営協議会に参加する機会は、今後のコロナとにかかっている。
現在のコロナの衰えが見えない状況下では、リスクが大きい。
然し、医療関係者の昼夜を徹する努力で、いつか、また、ふるさとに帰れる日が来るだろうと信じている。
然し、残念ながら、その日を遠いであろうと推察出来る。
肉親の少ない私にとっては、母校はまさしく実家であったが、コロナによって、それも奪われてしまった。
「ただ今」「お帰りなさい」と、母校での温もりのある挨拶もできなくなった。
昨日の案じていた精密検査の数値では、何の問題もなくパスした。
ということ、 年齢的には限界を認めているものの、まだ、やり残した役目が何か未だあるのかも知れないと思った。
然し、今はまだ、明確な答えは見つかっていないし、見えないが。
確かに、母校の学校運営協議会の委員としては、残すところ9ヶ月は残っているが、感染数の少ない岡山県というより、我がふるさとは、真っさらである。
例え、私個人の母校に帰りたいという願望を満たすだけで帰郷するのは、自粛しなければいけないのである。
それが、私を育んでくれたふるさとの唯一の出来る感謝の気持ちだと思っている。
私は、母校大切にしている「笑顔輝け」を卒業生の一人として、「ウイズスマイル」で、前向きに新しい生き方を見いだせればと思っている。