ちょうど2年前の7月6日、「晴れの国」で、降雨量もくない岡山県倉敷市の真備地区を恐怖に陥れた大洪水から2年を迎える。
実は、その約3週間前、61年振りのふるさとへ、岡山からわざわざ、在来線を利用しないで、タクシーで、田植えの済んだ懐かしい田園風景を見たく、カエルの合唱も聞けるかと、心を弾ませていた。
然し、私は、61年振りに帰郷したという途轍も無い行動が、大洪水の遠因になったと様な重苦しい気持ちが過った。
正直、これまでふるさとの存在す忘却の彼方の存在であった。
恐らく、一生涯、ふるさとに帰る予定や想いは無かったからだ。
友人が、毎年、お正月や同窓会に喜ぶ姿が理解出来なかったというのが私の正直なふるさと感といえる。
然し、自分でも不思議なのであるが、何の抵抗も無く、ふるさとへ帰ったのである。
その後の私のふるさとへの影響は一概に筆舌にでは語り尽くせない心の拠り所と変化していくのである。
かつて、尊敬する哲学者の鷲田清一先生が、災害は何故か不思議に符合するといった内容に触れていた。
東日本大震災の発生時刻の早朝46分、東日本大震災の日中の46分、そして、中国地方の大水害、更に今現在の九州地方の大水害といい、符合している。
更に、今年は新型コロナウイルスも重なり、臆せず人の能力の限界を試されている一方で、謙虚さも問われている様に思うのは私だけだろうか。