生来のせっかちが災いして、夜9時過ぎに固定電話が入った。
ちょうど6年前の4月末で、その頃、近所のご縁のある高齢者から、体調不良の電話が多く、慌てて起き上がった途端にパジャマの裾を踏んで、ものの見事にコンクリートの壁に頭をぶつけてしまった。
痛みを感じた程度で、受話器を取ると、勧誘の電話であったが、その間に背中に何となく冷たさを感じ、手を当てた途端、真っ赤な血液が流れているではありませんか。
即座に救急車の依頼をして、とりあえず友人に連絡をした。
幸いに救急車と友人が、ほぼ同時で、そのまま、ネックバンドでしっかり安定したまま、タンカーに乗った。
これまで、かなりの病気の体験はあるが、救急車のお世話になったのは初めてである。
前置きが長くなったが、その転倒時に、脳に別物が見つかり、それ以来
一年に一度、MRIの検査をして、何ら、おとなしくしていた。
これまでの病院から、転院して、私のカルテがすべてある病院にかかった結果、いくつもの画像診断の結果、別物が成長しているので、手術をとの
診断、告知を受けた。
嗚呼、とうとう来るべきものが来たかという思いだけで、頭が真っ白になるといった動揺もなく、実に驚くこともなく、手術を選んだ。
その帰途、あと僅かで自宅というところで、ゲリラ豪雨になった。
自宅に着いたときは、ずぶ濡れ状態だったが、明日の午後から事前に手術前のカテーテル検査の予約に、友人に保証人の依頼に出かけなければならず、友人先に向かう先に、大きな虹がかかっていた。
かれこれ半世紀以上東京に住んでいても、虹を見た記憶がほとんどない。
虹を見た瞬間、手術を選択のが、正解であった。
「これは、ツイテル」と、道すがら、安堵の笑みが出た。
これは、また、私にとって、「特別の夏」に変わりがないが、また、ターニングポイントの始まりでもあると考えている。