落ち葉の絨毯を踏みしめながら

9月の術後、欠かさずに散歩を続けている。

 

そうだ、今日は、退院して2か月にあたる日である。

朝のニュースで、1947年に倉敷天文台で、本田實氏による「本田彗星」を知る。

 

やはり、出身地に縁のある地名に、いつものコースである自宅の前の公園で、澄み切った青空を見上げた。

 

公園から見上げた空は、すっきりと雲のないと白いハゲではいたような薄く白い雲とが二分化されている。

 

退院後の2か月後、季節も移ろい、自然はすっかり彩りを濃くしている。

そこで、空を見上げながら、気象庁の「生物季節観測」の記録が、おそらく地球もお疲れというか、全世界で懸念されている温暖化等々で、なかなかこれまでの記録としての変化が生じたとの記事に、何か、とても侘しい気持になった。

 

そういえば、確か、各地の地方気象台では、大気の変化による雲の変化等も機械化したというニュースが頭をよぎった。

 

アカネ雲、雷雲、初雪、雹、あられなどの「目視による季節観測」も

日本語の語彙から、いつしか遠い存在になるのだろうかと味気なくなるのだろうかと、がっかりした記憶が定かではないが思いだした。

 

自然の色に染まったセピア色の枯れ葉を見ながら、なぜか、小学校時代にみんなで唄った童謡を口ずさんでいた。

 

多くの美しい日本語で、季節の表情が生み出されている。

 

何となく、やはり、時代のなかで自然まで移り変わっていくのだと、想いを馳せた日となった。

 

そして、見上げた空に鳥が天高く勢いよく飛び上がっていく空を見上げ、

私は、一つの決断をした。

 

今日で1045回を迎えるamebloの「花とエスプリ」に区切りをつけた。