コロナに始まり、コロナにキリストの降誕を祝う前夜祭といわれる「クリスマスイブ」も、すっかり日本にも定着し、にぎわう夜であるが、今年は事情が変わり、自宅で「サイレントナイト」を過ごすようにとの、止まらないコロナ感染策の必死の呼びかけである。
本来一人で過ごす「クリぼっち」の私にとっては、クリスマスの音楽をかけながら、ちょっと早いが、今年一年を振り返るには良い機会となる。
今年の3月、後期高齢者になり、小学校時代が虚弱体質で楽しい学校生活の思い出が、少ない。
幸い、母校の「学校運営協議会委員」というお役目をいただき、できる限り、母校に足を運び、「学び直したい」との想いに溢れていた。
ところが、3月末に母校の前年度最後の學校運営協議会に出席して以来、
いわば、私にとっても新学期のつもりでいた。
然し、残念だし、悔しいが、コロナにより、私は、東京圏に在住している
一人としては、大切なふるさとに、私がコロナを持ち込んではと、グッと
我慢の日々を今も過ごしている。
有難いことに、母校の「ブログ」によって、私も共有することができた。
まして、9月の28年ぶりの入院生活中は、母校の「ぶろぐ」をベッドで
何度も開いては、想いを馳せていた。
毎日のように、夜間にはスマホに充電するほど、私には、「学び直し」をしたかったのである。
そんな想いで、まだ、母校のデジタル関係や、紙資料の整理ができていなかったので、クリスマスソングが流れる中で、ブログをはじめ、一つ一つが宝物のように思われた。
これもある意味で、サイレントナイトという母校のサンタさんからのプレゼントと考えるほどに、心から、61年ぶりに母校に帰校のチャンスをいただいたことを感謝していた。
気が付くと、カーテン越しに夜明けを感じたのである。
いつしか、「クリスマス」に時が流れていたのである。
さらに、かねてよりパソコンの苦手の私は、75歳で穏やかで静かな時間が欲しく、次なる楽しいことをどう過ごそうかと迷っていた。
徹夜状態の私は、新鮮な空気を吸って、気分転換できないかと、日課の1万歩の散歩に出かけたが、なんとなく、いつものコースから寄り道をした先で、久しぶりに全く、偶然出会った。
マスク越しのおしゃべりで、知人が「あなたのブログを時々読んでいるのよ」との言葉に、私は一瞬驚いた。
さらに、知人は「あなたには、ブログは合わないわね」と。
思わず、私は、その知人の勇気ある発言に背中を押されたのである。
そうか、これで、来年の3月で、また一つ肩の荷を下ろすことができると
知人にその理由を聞くことなく、私は「ありがとう」と心から感謝すると
共に、すっきりとした気持ちで散歩を続けた。
そして、我がふるさとの母校も昨日は、2学期の終業式だ。
コロナに翻弄された、令和2年、私は一日遅れだが、25日で終業式とし楽しい冬休みを過ごしたと。