令和3年、日常生活が戻って

昨年、母校の終業式に合わせて、私も早々とクリスマスイブから冬休みにしたのであるが、新しい年を迎えるまでにと、これまでの年末の習慣に、

ついつい私も、まだ残っている紙資料が気になり、整理を続けることに。

 

昨年の9月の入院生活、手術により、やはりできるだけ、身の回りをコンパクトにしておかねばとの、かねてからの考えていたことだ。

お陰様で、どうしようかと困っていると、不思議に良き人材に出会い、私自身がぽつぽつやっていれば、恐らく数年かかる作業を、アッという間に処理してくれる。

流石にその道に精通したプロの仕事に助けられ、とうとう、29日まで頑張ることになり、USBメモリースチックバックアップした後の紙資料の処分を、何とか、31日までにと計画したのは甘かった。

 

年末から正月もなく、資料を断裁した。

長年の紙資源に、かねてから75歳までの総決算というか、整理をしようと考えていたが、いざ目の前からただの「燃えるゴミ」に変わってしまった紙資料を前に、これからの計画は思いつかないでいた。

 

毎日欠かさずに続けている散歩中も、残念ながら黙々と歩くだけである。

ただ、一つだけ、昨年から極力、パソコンで済まさないで、メモに始まり肉筆を心がけてきた。

 

昨年末、ある方に手紙を書く機会があり、昔は、スイスイと誤字もなく、また、漢字も順調に、いわゆる筆が進んでいたが、まあ誤字や漢字を忘れている。実に嘆かわしい現実である。

 

昨年から、まずは忘れてしまった漢字を取り戻そうと、決めていた。

そうは思いついても、何から手を付けようかと、模索中の私に、私は元日の日本経済新聞に文藝春秋の広告が目にとまったのである。

恐らく各新聞に掲載していると思うので、思い当たる人も多いと思う。

『活字の中に「人間」がいる』といったフレーズである。

 

そこには、文藝春秋の創業者である菊池寛の、100年前のスペイン風邪でマスク姿の写真と共に、「マスク」という小説集の文庫本が紹介されていたのである。

 

隣接する図書館が今日5日から開館するのが待ち遠しく、気を紛らわせるために、まだ残っている紙資料を整理するか、散歩をしながら、昨日まで過ごしていた。

 

10時半の開館を待って、図書館に申し込んできた。

何か、今年の生き甲斐や生き方のヒントが得られればと楽しみだ。

 

今年の予定としてのメモには、まだまだすることが書き込んである。

そろそろ、今日から日常に戻り、リセットしてスイッチオンしなければと

暮れなずむ空を仰ぎながら、日課の散歩を終えた。