昨年の暮れの29日以来、私の部屋に自然の美しさを楽しませていた、黄実の千両が、今朝、水を取り替えた際に、7粒の黄実が一斉に落ちた。
まるで、凡そ、一か月しっかりと元気だったが、とうとう、自然の掟というか、限界だったのだろうが、私は、この千両に自分を重ねていた。
本当に縁あって私を毎日励ますかのように、また、私も大切な命の預かりものとして接してきた。
何度も繰り返すが、75歳という年齢をある意味で人生の節目と考えていただけに、何やら「お先に」といったさみしさを無ぐ得ない。
先日、令和元年から、ふるさとの母校の小学校の學校運営協議会の委員を務め、それが、何よりの生甲斐として、令和2年も順調に進む筈であったが、新型コロナ禍で、私の生甲斐は無残にも実現する日はもう来ない。
というのは、令和2年の最後の委員会が2月6日で、とうとう令和2年度も
お終いというわけで、コロナの終息が見えない状況での次年度の約束は難しく、いよいよ、母校ともお別れをする日が、近づいてきた。
これで、75歳というかねてから節目と決めていたことが、日を追って現実のものとして受け止める時が来たのである。
残された時間内で、私は、今最終章に向かって、些か、無理を重ねている日々が続いている。
体力的にも、ちょっと、お疲れ気味だが、むしろ、かたずけていく方が
精神的にも、ストレスにならない。
もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせながら、ふるさとの母校との
区切りをつける年齢である75歳を、今、ひたすら、歩んでいる。
ある意味で、私の決断というか、決意を「黄実の千両」は知っていたのではないどうかと、想っている。