2日からの私は、間もなく母校での学び直しができなかった無念さが、頭の隅から離れず、校長先生との約束である卒業論文と称している「笑顔の底力」について、考えている日々が多くなった。
書き出しが見つからず、きょろきょろ落ち着かない翌日、28年前に手術した古傷が気になり、精密検査を受けた。
少しでも、不安要素を取り除いて、最終章の約束である宿題に向き合いたかったからである。
ところが、9月の脳神経外科の手術は、虚弱体質の私には、かなりの負担となり、正直に体力的に反応を示したのである。
安心を得たいために検査を受けたのがいわば、逆目に出てしまった。
検査後のドクターの忠告がものの見事に、私の体調を見抜いていたかの如く、翌日の4日から倦怠感と、微熱により、再度診察を受けることに。
診察の結果は、入院は避けられたが、抗生物質で処置し、自宅で安静との
指導に、私は、確かに術後、「頑張らないで、頑張ってください」といわれていたその忠告のうち、「頑張る」方がウエイトが多かった。
それは、友人をはじめ、周囲から案じられるほどの自分でも不思議なほど
ハイパワーともいうべき勢いで、これまでの中途半端で済ませていた問題等々の懸念事項を凄まじい勢いで「頑張った」のである。
そのお返しが、まさに「倍返し」以上に、牙をむいたのである。
「しまった」と頭を垂れても、既に遅しである。
そして、食事、入浴、掃除の最低限を続けること、1週間後、抗生物質からも解放され、平熱に戻った。
まだ、まだ、自分の体調については、過信することなく慎重に生活スタイルをしなければいけないと、猛反省の1週間を過ごしたのである。