昨年の新型コロナによる巣ごもり生活で、長年続いていた毎朝のルーティンを変えざるを得なくなって久しい。
これまでより、30分ほど、ベッドでのんびり過ごし、10分ほど、軽い体操をして、朝食の準備をすると、ちょうど、6時過ぎになる。
やはり、早く朝刊に目を通したくなる。
一通り目を通すと、ちょうど、7時すぎになるので、パソコンを開く。
ニュースを見る際に、自分のホームページ、ブログの検索というのか、アクセスというのか、恥ずかしながら、私にはそのあたりのデジタル用語の認識が欠如しているが、ただ、数字を見るのが、楽しみである。
今日8日の朝、何となく母校のブログを開いたところ、わが目を疑ったのである。
大体、私は、数字に弱く、また、間違えたと想って、何度も、数えてみるも、何と、1260,000と表示されている。
てっきり、私の読み間違いだと、目を凝らして数え直してに、「六条院小学校」に表示されているし。他も検索するも同じ数字である
思い当たる現象は、幻冬舎の「読みカフェ」によるものでは、ないだろうかと気づいた。
朝の7時すぎから、私はすっかり落ち着かなくなってしまった。
然し、午後には、驚くべき数字も減少してきたので、何か、ほっとする想いもあった。
その後も、平常心を保つことに、かなりのエネルギーを消耗してしまった私は、思いきって頭を冷やしに、散歩に出かけた。
散歩によって落ち着きを取り戻し始めた時間は、ちょうど、夕刊が届く時間帯である。
夕刊の下に、懐かしい母校の校長先生の肉筆の封筒が入っていた。
開封して、びっくり、小学校の活動報告の会報と共に、「卒業証書」が同封されていたのである。
かつて校長先生と約束していた卒業論文である「笑顔の底力」が、校長先生が評価してくれたのである。
校長先生には、幻冬舎から連絡が入って、嬉しさのあまり、電話で報告したのである。
そして、校長先生は直ぐに「はなまる」と認めてくれたに違いないのだ。
今、社会人が、大学での学び直しをしている人は多いが、私のように小学校での学び直しをする人は、珍しい稀有な存在かもしれないが、私はあえて、頭が柔軟な時にときに学ぶのは、かけがえのない大切さを秘めているように、実際に授業参観を同席して、初めて気づいたのである。
終生、2021年3月8日は忘れられない私の至福の1日と日になった。