記憶によれば、確か、この季節の頃だと思っているが、自信はないが、その方とは、凡そ、30年近く前に、コラム欄の著者を紹介していた抱いたメディアで、現在も活躍の方である。
その後、彼の記事に出会うと、必ずといってよいほど、お手紙を差し上げた、長い縁のある方であると共に、大変お力になってもいただいた。
ある日の紙面に取材記事が掲載され、いつものように、メールを差し上げた処、文面に丁寧な謝意の気持ちに添えて、お汚しかと存じますが」と、初めて知った言葉であった。
我が人生70代にして、初めて知った言葉というか、表現であった「お目汚し」という言葉が、私は強く記憶に残っていたのである。
更に、日本経済新聞の長い歴史のある「私の履歴書」の2021年の1月31日、美術史家の辻惟雄氏が最終日に、今回の「私の履歴書」を執筆するのを憂慮したが、「書き残したエピソードも多々あることだろうと思い直し、再び『お目を汚すことになった』とある。
2度の「お目を汚す」との出会いによって、私は、謙虚な人柄が使ってこそ、相応しい表現だと想ったのである。
改めて、日本語の深みのある伝統的な言葉による表現について、これから自分自身を、豊かにしていく生甲斐というか、道筋を見い出した。