編集時代に、多くの作家の先生にお目に掛かる機会があった。
当時は、原稿用紙に、太めの万年筆で、書き込まれた文字は、個性的で、
必ずしも、作品と、文字とは一致しないところにも、興味があった。
未だにデジタル社会に対して、苦手感があるので、毎日が日曜日になった私は、極力肉筆でと努めているが、メールで失礼をしている。
ブログを作成するときは、パソコンの周囲を必要以外の資料を片付ける作業から始めるのである。
どうも、色々と、目に入るものが気になるというか、気が散るという性分だからである。
テーブルにあるのは、必要な新聞の切り抜きと、ホームコースのゴルフ場からの記念品の辞書でセピア色の初版が、母校を卒業時の1957年に刊行とあり、寧ろ、私には、古き良き時代の活字文化に触れる満足感がある。
使用しているのは、ゴルフ場の記念品の1977年の三省堂の特装版である。
パソコンの変換が、新しくなるほど、文字が少なくなってきているようで、結局、私が間違いかとネットで調べるも、さらに愛用の辞書をひき、
やっと、納得するという活字との出会いの日々の多いことか。
それゆえに、気が散らないように、また、書き手の表現を頭に残さないように、純文学等の書籍にはある程度の時間を経過してからと心がけているのである。
なかなか、「書く」行為は「心の整理」になるというが、その整理もややもすれば、重荷になるほど、ある時には、自分の性分を悩ましく想う時もあるが、今日も、整理後、パソコンに向かっている。