孤独と孤立

日本経済新聞の夕刊に、政府は「新型コロナウイルス」感染の収束の見通しが、なかなか着かない状態で、「孤独と孤立対策」の常設官民協議会を設置するとの記事に、この「孤独と孤立」の違いについて、医療ボランティアの実習講義で、私も学生と共に学び、共有した体験を思い出した。

 

今回は、新型コロナウイルスという対策で、遅きに失したと想った。

些か、今回の設置意図とは、若干異なる事例であるが、孤独と孤立の両者に、精神的な面と、自らの関係をシャットダウンするケースが、複雑に

混合しているように思うのである。

 

高齢者に向き合う時は、特にこの問題は重要な問題点である。

病棟の師長から、どうしても、リハビリを拒む高齢の男性が、何としても自分は、自宅に帰りたくないというのだそうだ。

 

もうすぐ、お正月も近く、病院側としては、家族で迎えさせたいとの思いで、いるが、本人は自宅に帰りたくないという。

 

理由を聞いても、口を閉ざしてしまうので、何とか、聞き出さないだろうかとの依頼であった。

見るからにお育ちの良い風貌で、「どうぞ」と私に椅子を勧めながら、既に、なぜ、私が病室訪問したかを見抜いていた。

 

「君の家庭は、家族そろって、お正月を迎えるんだろう」と問いかけた。

「はい」

「それが、お正月というものだが、恥ずかしながら、私の育て方が悪かったのか、息子夫婦も、娘夫婦も、私に、高級な有名店のおせちを手配しているから、前から、スキー場を予定していたので、心配だけれども、お手伝いさんがいてくれるからと、さらりと言ったね、ムカッと来たね」

 

「せっかく、頑張ってお正月を家族で迎えると思っていたのに、がっかり

してね。孫にも会えないし。年寄りをこんなに惨めな思いにさせて」

 

これまでの辛い気持ちを、率直に私に心を開いてくれたのである。

この場合一人ぼっちという孤独に耐えて、「孤食」のお正月を迎える。

 

一方で、ある年配の女性の患者様からは、「娘たちが、退院祝いをしてくれるというのだけれども、恐らく、自分たちが日ごろ、行ってみたいと思っているフランス料理のお店を予約しているから」と、娘さんは弾んだ声で、母親の退院を楽しみにしているのが分かった。

 

しかし、患者様からは、「私の退院で、自分たちが楽しむのよね」と。

「主役の私には、通り一遍のお祝い後、自分たちだけで楽しんで、私は、ポツンと娘たちから離れて、一人で、寂しく頂くのよね、会話にも入れなくて、結局、一人、取り残されるのよね」と大きなため息をついた。

 

ある意味で、「孤独」は精神的な要素が強く、「孤立」はどちらかといえば、多くのものや人の中において、取り残されている状況を意味していると、毎回、学生たちに説明、理解してもらうのを苦労した。

 

今回の政府による設置は、主に新型コロナ禍的を絞っているようだ。

「孤独と孤立」の両者が、微妙にクロスしているように、想われる。

 

経済的な問題も、大きく影響しているコロナ禍の「孤独・孤立」さらに

「孤食」「個食」「黙食」の問題も含まれているのではないでしょうか。

 

6月以降に、定期的に会合を開くとのことだが、2種類の新しい変異型コロナの勢いに、さらなるストレスや不安も増し、一刻も早く、温かい政策の

設置を期待している。