喜怒哀楽の一日

朝8時過ぎに、スマホに弾んだ声が飛び込んできた。

何と、図書館で、私の拙著で、2015年9月ににミネルヴァ書房で刊行した「医療ボランティアをめざす人に今伝えたいこと」を見つけてたそうで、つい嬉しくなって電話をしてきてくれたのである。

 

「ちょうど、今日は雨模様だから、雨読に励んでね」と。返事した。

梅雨入りを思わせるような、鬱陶しい朝に、本当に嬉しく想った。

 

処が、最近、グローバル化しているせいか、想像を絶する場所にごみを

見い出すことが、気になっていた。

 

我がふるさとの浅口市と同じく、東京都では一番小さい「区」であるが、友人によれば、区内を「大江戸清掃隊」と称して、ご近所や、向こう三軒両隣等々を掃除するボランティア組織があるそうだ。

 

確かに、散歩に足を延ばすと、あちらこちらで、ごみを拾う住民の姿を見かけるので、私も見習いたいと想ったが、集合住宅には、管理人さんの

職種と聞いて、目についても放置しておかなければ、越権行為になるのかと、改めて、「お互い様」なんて、温もりのある日常は戻ってこないのかなあと、些か、社会の組織化や、文化の違いに怒りや寂しさを覚えた。

 

以前、医療ボランティアを始めたころ、小さなごみはセロテープで取りなさいと教育された時代を思い出す。

 

今、コロナ禍の時代、管理人さんも、危険だからもしものことがあってはいけないので、任せて下さいとの、私を案じる心遣いを有難く受け取ることが、迷惑をかけないと一方では考えられる。

 

母校でお世話になった教頭先生が、宿場町で栄えた小学校の校長先生に昇任なさった。

 

学童数も先生方も、母校より少ないが、校長先生によると「周りは田んぼばかりですが、良い処ですよ」と。

 

確かに、ブログを見る限り、自然が多く残っていた母校の風景がある。

特に、クラブ活動で、近くを流れる川に生息する生物を、自分たちで作った「箱めがね」を使って、観察するという。

 

何とその学習のために、地域の人たちが、雑草を刈り取り、その土手には

二つの「ハートマーク」が、雑草を利用して作られていたのである。

 

地域の皆さんの子どもたちへの愛情の深さと、優しい気持が込められているのだろうと、私は、胸が熱くなった。

 

正に「喜怒哀楽の一日」となった。