ジャーナリストでもあり、評論家でもある「知の巨人」のニックネームの立花隆氏が、既に4月30日に死去していたという報道に、驚いた。
強靭なパワーの持ち主とのイメージを持っていただけに、まだまだ活躍して、「新型コロナ」の発覚から、そのうち、ドカンと重厚な書籍が出版されるであろうと想っていた。
何かと、クレーム続きというか、とやかく見過ごせない問題点が多すぎる
東京オリンピックについても、ちょっと「静かだな、大人しいな」とも、想っていた矢先である。
24日の日本経済新聞の朝刊の青木慎一編集委員の記事によれば、2007年の膀胱がんの手術後も、多くの病気を抱え、入退院を繰り返したとある。
然し、最後は「生活の質を下げてまでも、治療する必要はない」と、最後の治療を拒否したと記載され、情報を集め、深く考えたうえでの結論だったのだろうと、記事は結ばれている。
「知の巨人」が、自分なりに、納得のいく結論を導くまでには、、これまでに、多くのがん患者に接し、自ら、体験したと、私は想ったのである。
私にとって、ライフワークといっても過言でない病院ボランティアでも、特に緩和ケア、終末期の患者様の体験が多く、緩和ケア病棟で、凡、10年近く、主にがん患者様の「話し相手」をしてきた。
人は積極的な治療も必要だが、私は、これまでに「人は、苦痛といわれる痛みを取り去ること」によって、穏やかな気持ちを取り戻した患者様と接してきた。
昨日まで、苦痛に苦しみ、眉間にしわを寄せ、耐えていた患者様が、笑顔で、好きな食べ物すら、口にできなかった方が「ボランティアさん、今朝大好きな西瓜がデザートに出たの、何と食べられたのよ、嬉しくて」と。
積極的治療しなくても、病棟での日常の生活を続けていけるのが緩和ケア病棟なのだ。
或いは、できるだけ、今は緩和ケアチームで、できうる限り、自宅で過ごすように支援を続けてもいる。
「知の巨人」の死は、残念であるが、緩和ケア病棟でボランティアをしてきた私にとっては、素晴らしい選択に、又、機会と、体力が続けばであるが、緩和ケア病棟のボランティアをしたいと改めて想ったのである。