新型コロナウイルスの発生以来、既に1年半の時を経るが、連日の途絶えることのない感染人数の報道の定期的時刻、追ってその日の感染数に、私は
精神的に疲れを覚え始めている自分に気づいている。
出来れば、ケアのケアを試みているが、せめて、7月11日の蔓延防止等の重要措置の解除までのいづれかの日に、ふるさとの空気を胸いっぱいに、そして、思い切り、「あさくちブルー」の空を仰ぎたいという想いに駆られている。
6月の23日の東京の感染数は、619人と、前日の435人より急激に増加の一途をたどり始め、現在まで、平均570人、562人といった状況で、下火になるとは考えにくい。
然も、6月初旬に既に変異型といわれるイギリス株からインド株への増加、いわゆる第5波のリバウンドが生じているとの情報に、ふるさとの空気や空が何よりの「良薬」との願いは叶わないであろう現実に、辛い。
今、私の手元に日本経済新聞の第一面に掲載される論説委員会のコラム欄「春秋」の2021年、4月17日の切り抜きを、なぜか、見逃せずに、今まで
持ち続けていたのだ。
紙面に掲載されている記事の紹介を、許可をしていただきたく、多くの
読者も、記憶に新しく事実である貴重な内容であると、受け止めたのではないでしょうか。
「今となっては、ほとんど忘れ去られているが、、1964年の東京五輪のひと月半前、千葉でコレラ騒動があった。
外国旅行者とは何ら関係のない1人の工員が死亡した。当時、コレラはまだ恐るべき流行(はや)り病。予防接種の会場には行列ができ、住民はパニックに陥った。
感染源はつかめず、広がり方もわからない。にもかかわらず、厚生省(現厚生労働省)は1週間後に突如として幕引きをはかった。
共同通信の記者だった原寿雄氏が小和田次郎名で書いた「デスク日記」の
行間に憤りがにじむ。
「厚生省がコレラ終結宣言、感染経路もつきとめずに。オリンピックの前なので急いだようだ」
敢て、このような記事を、76歳の高齢者の一愛読者の女性が、何となく、歴史は繰り返されているキナ臭さを覚えたのである。
「安全・安心」を基調に、進められているだけに、恐怖を煽るための情報発信でなく、早く出来る限り、専門家の知識を強力にしてほしいと願っているからである。
イスラエル・インドのデルタ株・ブラジルのラムダ株と、コロナ株は変異を緩めず、益々、変異をしていく新型株に対して、科学や専門家の英知で
出来るだけ、早期に対処してほしく、ワクチン接種についても、わかりやすい説明で、納得してもらうために、さらなる専門家の力を借りる必要があるのではないでしょうか。
批判的と捉えられても、「人の命は地球より重い」といった政治家の言葉を思い出す。
一方では、東京オリパラのために、力の限りに頑張っているアスリートの努力には期待を削がないためにも、私なりに勇気を必要とした。