今年の3月で、76歳になった私は、これまでに予てから、全ての繋がりのあるお役目を辞退、退任する決心をしていた。
唯一つ、致し方ないのが、新型コロナ感染の広がりにより、生活スタイルの変化に対応するのに、時間がかかった。
既に遡ること、凡そ、1年前の4月に緊急宣言という事態は、私には、今年からでなく、三ケ月なんてものではなく、一年2か月に亙るということ。
想定外の一年早く「毎日が日曜日」が始まったのである。
その頃の私のブログを読んでいた友人から、「どうしたの、いつもの淺野さんはどうしたの」と、心配して電話をかけてくれた有難い友人もいた。
自分では、それほど、いつも通りだと想っていたが、文字には正直に表れていたのである。
然も、昨年の3月までは、目標というか、約束があったので、気力は続いていたのだが、ちょうど、それも一先ず解決した途端、4月ごろから、精神的にシグナルを発していたようだ。
やがて、そのシグナルは、9月に脳神経外科の手術に至るほどに、自覚症状がないままに影響を及ぼしていたことが、術後の体調の変化によって自覚できたのである。
術後の私は、執刀医から、ハラハラするほど、「頑張れる」体調に、正直
自分でも、驚くほど、数々のシグナルの減少に気が付いた。
一日の予定をすらすらと片付けられる自分のパワーに驚いた次第である。
その体調の変化で、思いがけなく、昨年内の術後からは、予定通り、今年の3月までには、と予定していた主要な案件は片付いたのである。
さあ、予定通り4月から「毎日が日曜日」と、喜んだものの、目標がなくなったことにより、リズムを掴めないでこれまた、難しいと悩んだ。
未だ、新型コロナは、人が慌てふためいている姿を嘲るかのように、更に
どんどん進化を続けているなかで、唯一の切り札はワクチン接種である。
既にテレワークにも、縁の無くなった私には、活字の世界が唯一の生甲斐でもあり、僅か、4月だけ、ブログを休んだが、やはり落ち着かない。
偶然、私にスイッチが入る「新聞科学研究所」の「仕事脳をオンに キッカケは活字」という5月8日の日本新聞協会のプロジェクトキャンペーンに
ハッと、活を入れられた思いである。
確かに、「Everyday is Sunday]の楽しみは、毎日新聞を読み、その日のヒントを得るのを目的にしていたのである。
キャンペーンに、「朝起きたら、いきなりパソコンを開くより、新聞を開いてみるのもおすすめだ」とあるではないか。
この三ケ月の生活スタイルの総括をすると、「活字文化、文字化に励む」という目標が辛くなる時が、時々あるが、不思議に体調のシグナルと符号するのである。
その時は、即、頑張らず「疲れたら 休め」を実行することにしている。
明日は、新型コロナウイルスワクチンの2回目の接種日である。
「文月」の始まりと共に、何かと、「マイペース」を保つのが難しい状況になりそうな予感がするが、先ずは、「頑張らないで、頑張るとしよう」