今日は、ちょうど1年の折り返し地点ともいわれる「半夏生」である。
「半夏生」というと、葉が不思議に白か少しベージと緑の艶やかに色分けされ、私は、何とも、すっきりとする趣があると気に入っている。
沖縄では「梅雨明け宣言」となったが、いわば、これからが、梅雨前線の北上で、日本列島は寧ろ本格的な梅雨期に入るといえる。
正に、その通りに、関東地方は、梅雨明け前の特有の大雨の地域になってしまった。
天気予報士の解説で、72候でもあり、私たちに馴染みの節句、彼岸、八十八夜、入梅、土用などと、寧ろ「雑節」の方が、日常生活との関りが多いその雑節の一つが「半夏生」といわれている。
その梅雨期に降る雨は、大雨になることが多いことから、農作業の田植えも終える目安といわれているそうだ。
自宅から歩いて5分ほどのところに、「半夏生」で階段を沿うように立派な
大きな葉の「半夏生」を思い出し、雨の小ぶりを見計らって、出かけた。
艶やかな、緑と白に分かれた葉から、雨による水滴が滑らかに滑り落ちていく風景を暫く立ち止まって魅入っていた。
コロナ禍のなかで、自然は、季節を弁えている謙虚さな姿に、自分の浅ましさを感じた。
西日本では、「半夏雨」の時の洪水を「半夏水」というそうだが、それも
趣があると思いながらも、2018年の西日本豪雨によって、「晴れのくに」
である倉敷の真備地区の水害が、蘇ってくる。
感染が収まらないコロナ禍と、梅雨末期の水害に油断は禁物であると改めて、残り一年の半分にあたり、考え深い日となった。