メールされどメール

季節の変わり目であるゆえに、梅雨特有の湿気の多い不快感に体が対応しなく、バラランスが崩れつつある。

 

遡ること、5月初旬のあるメールに原因のひとつはある。

ついつい、前後の事情が理解できないままに、どんどん、私の中でのそのメールの存在が、大きさを増していったのである。

 

このあたりが、対面であれば、表情を汲み取ることもできるが、残念ながら、メールから、相手の気持ちを汲み取るのは難しい。

 

故に、私の立場としては、メールからくみ取れる内容を、各メディアを使って情報収集するも、相手の伝えたい部分には到達しない。

 

この情報収集にも、それによって迷惑をかけてはいけないと想うと、私なりに、想像とか、推察の枠で止まってしまうのである。

 

然し、もう少し、もう少しと、その後も続くメールに介入をしていくうちに、私はバランスを崩す結果に落ちいったのである。

 

もう、介入の限界であると、今日を限りにやめようと決意したが、既に、

体調にシグナルが点滅していた。

 

ただ、私に自分の気持ちを話したかっただけではと、気づいたときには

既に遅しであった。

 

つまり、メールされどメール、メールを甘受できないものもあり得る。

受け取り方にも、今後、注意しなければと想った次第である。