希望と夢

依然として、東京ではコロナ禍が増加傾向にある中、東京オリパラは間違いなく、どのような状況でも開催される。

 

今、私自身が、2か月ほど、「火の粉」を被っているせいか、何とかして、本来のバランス感覚を取り戻したいと思っている。

 

ふと、オリパラをめざして努力しているアスリートたちは、「希望」とか

長年の「夢」の実現のために、想像以上のメンタル力に尊敬の念以外の

何物もないと。

 

処で、「希望」と「夢」についての想いが過った私は、いつもの愛用している辞書で、調べてみた。

 

「希望」は願い望むこと、「夢」ははかないさまや、容易に実現できないことに使う言葉とある。

 

つまり、アスリートたちは、中々容易に実現できない「夢」に、「希望」を以って突き進み、自分自身と闘っていることではないでしょうか。

 

そうしてみると、私は、今回のメンタルな痛みには、私の思い込みが嵩じて、勝手に「希望」しているのではないだろうかと、たどり着いた。

 

恐らく、相手は、私の想いほどの重要事項ではないと思っているのでは。

因って、私自身が、「希望」を諦めれば、済むことではないだろうか。

 

これ以上は、明日の月に一度の主治医の診察に任せることとしよう。