子ども達の底力

未だ、体調の方は本調子に戻らず、薬は話せない状態である。

然し、熱もなく、いよいよ、関東、甲信東北地方が梅雨明けの宣言が出され、やっと、どっちつかずのはっきりしない天気から解放された。

 

どうも、様子見という中途半端というか、待つことが苦手な私は、やっとこれで、「夏本番」という自覚が芽生え、動く気力が出てきた。

 

早速、日傘をさして、散歩に出かけた。

自宅の周辺には、5分から20分以内に4校の小学校がある。

 

夏休みを真近にした子ども達の声が聞きたくて、これまでの目標の一万歩の散歩を取り返すかのように、一校ずつを歩いた。

 

矢張り、子どもたちの声は、明るく弾んでいた。

その声を聴いているうちに、故郷の小学校の子ども達に会いたくなった。

私は、暫く、ふるさとの母校をはじめ、ご縁のある地域のブログをご無沙汰していた。

 

母校をはじめ、ふるさとの各学校の様子がブログを通して伝わってくる。

各学校によって、マスク越しだが、子ども達の何気ない仕草や、表情がそれぞれ異なって映った。

 

「こどもは正直」というが、不思議に各学校の姿が子ども達にも反映しているのである。

 

校長は学校の経営者、教頭は運営の立場に該当するとの説明を聞いたことがあるが、確かに、その通りで、子どもたちによって、学校の経営、運営等が見えてくるのである。

 

既に、「コロナ後」を見据えた意見がメディアで、各知識人から取りざたされているが、私は、一週間後の東京オリパラにおけるデルタ株の蔓延で将来を担う子ども達の明るく、元気な声と、笑顔が失われるような事態にならないように、願っている。

 

「子ども達の底力」を信じている。