朝のうちは、真っ白いモクモクとした雲の流れが速く、すっかり、雲一つない青空が広がってきた。
先日、お墓参りに出掛けた際に、やたらと、人とぶつかるも、相手が大体スマホを見ながら歩いて居るから、仕方ないかと思っていたが、階段の上り下り、延いてはエスカレターにも足をかけるのも、何となく恐怖感を覚え、あれ一寸おかしいと感じていた。
その後、私の自宅は5階にあり、エスカレーターを利用すことはなく、運動のためと努めてきたが、ここ、一週間ほど、やはり、利用しようとすると
恐怖感が走る。
最近、何となくお疲れモードで、散歩をさぼっていたせいだと思う一方、もしや、昨年の脳外科の手術が、「寛解」といわれても、「お頭」が
シグナルを発しているのではないだろうかと、思いめぐらせるのである。
その夜、そろそろ、眠気を催してきたので、寝ようかなと準備している時、固定電話が鳴った。
ほぼ、数年ご無沙汰をしている友人からで、彼女は学生時代からコーラス部に在籍し、社会人になっても、コーラス活動を続けていた。
彼女によれば、ある方の家族葬で、故人の好きだった歌を一曲だけ歌ってほしいとの、家族たちからの希望で、引き受けたそうだ。
処が、声が思うように出なく、ましてや、その焦りから、音程を外し、何と、歌詞までが、しどろもどろになってと、最後は泣き出す始末である。
コロナ禍の巣ごもり生活で、これまでは続けていた発声練習も、コロナに神経質になり、コーラスのメンバーとも練習する機会もなくなり、気持ちも沈みがちで、一人住まいのために、心細い毎日を過ごしていたという。
確かに、コロナ禍によって、失われた日常生活は数知れないほどある。
彼女に限らず、私も「憎きコロナめ」と叫びたくなる時は数知れず。
私は、リハビリと気分転換に外の空気を吸うために、退院後は、真面目に散歩を続けていた。
長引くコロナとの付き合いに疲れ、天候のせいにして休みたくなったり、同じように、必ず、コツコツと、毎日続けていた生活のリズムを崩したので、お返しが来た。
彼女と状態は異なるが、私の場合は、怠慢のせいと思ったのだが、散歩の途中であった友人から、気になる一言「足元がふらついている」と。
年齢的な問題と片付けばよいが、来週、診察を受けることにした。