24日の照明器具のダウンによって、生活のリズムに調整が必要になる。
予てより、夜間散歩に切り替えたが、自宅の玄関他は無事に灯りを届けてくれているが、今月末で整理しようとしていた予定が先延ばしにせざるを
得ないかと、日中の日差しを頼りに、頑張っているのだが。
嘗て父親が、輸入の仕事に携わる関係上、夜間に英語の勉強をして、自宅に帰ると、部屋は暗く、「お帰りなさい」という言葉もなく、如何に灯りの存在によって、人は元気を取り戻すという体験を味わった。
父親は、よく自分の体験から、もし結婚したり、或いは他の事情においても、自宅に灯りの必要性を、私に諭していた。
今、私は土曜日の照明器具のプッチンから、毎日、日暮れを受け入れて、
夜空散歩をしているが、自宅の玄関他の照明器具は健在なれど、日常の生活の場であるキッチン他は、暗闇の世界である。
依頼した業者さんは、来月ということで、当分は暗闇の生活を続けなければならない。
嘗て、ハラハラ、ドキドキ、恐怖で息苦しく席を立ちたくなる映画を記憶している。
オードリーヘップバーンによる映画「暗くなるまで待って」である。
父親は、よく私に、映画から人生の苦境の時のヒントを見つけるというのであるが、当時の私は元来臆病な要素が多く、ハラハラ、ドキドキし、目を覆いたくなるような印象が残っている。
然し、暗闇の天井を見つめながら、来年の3月には、77歳、いわゆる喜寿を迎える「毎日が日曜日」の私は、今後、どのような生き方をしていけば
良いのかと、考えていた。
10年前の照明器具は、いわゆる蛍光灯であり、恐らく来月の中旬までには
LEDの照明器具になるであろうと思い、暗く熱い夏は続きそうである。