文月もおしまい

これ迄もブログを旧暦表示で、敢えて書き続けて久しいが、今日で文月もお終いである。

「文月」について、唯、自分の好みで続けていたが、検索すると、「ふみづき」は稲の穂が実る月とある。

 

我がふるさとでは、嘗て麦踏休暇があり、多くの実った麦の茎を利用して現在のストローの前身といわれる「麦のストロー」が、多くはアメリカに

輸出していた。

 

父親はその検査官を務め、夏休みに見る父親のゲージでスローの太さを判定する姿に「カッコイイ」と思っていた。

 

今日で、文月もお終いである。

この「おしまい」について、でき得れば、文月でお終いにしたいと願っている諸々の立場で人は私ばかりではないと想う。

 

大ヒット中の亡き篠田桃紅氏の辞世の書といわれる「これでおしまい」を図書館の購読依頼を申し込んでいる。

 

篠田桃紅氏には、残念ながらお目に掛かる機会はなかったが、作品は、私が美術の世界で商いをしている頃、ホテル、会員制ホテル、企業の研修所等々がしのぎを削っている時代で、篠田作品にあらゆる場において不思議にマッチする作品の説得力があった。

 

今日でお終いの文月について、私は、改めて振り返ると、何ら稲の穂が実るような実績を残していないと想っている。

 

人生において、「これでおしまい」という問題を残している私は、必要不可欠な要素を残して、世間の不義理も承知の上、来月の「葉月」は「はおちづき」ともいわれているそうだ。

 

来月を見据えて、今月「文月」までに、できうる限りの努力をしたと自負してお返しが体調不良のシグナルの点滅とは、悔しい限りであるが、それ故に、来月への心構えもできるであろうと前向きに捉えている。

 

「悔しい」とは、まだ、根本的に「これでおしまい」といった境地には及んでいないのである。

 

最近、夢に登場するのは、私の虚弱体質に厳しい表情をいつもしていた筈の父親が頻繁に現れてくるのである。

夢から覚めた私は、父親に問いかけている。

 

答えがないが、今コロナ禍において、あの世も、もしかしたら、ボランティアを必要としているのかもしれないと、思い巡らせる。

 

来年の3月は、77歳を迎える私は「喜寿」である。

もう、コロナを始め、私には精神的に生きにくい世界に変化しているのを

父親は、もう十分頑張ったから「これでおしまい」にしていいのだよだと

父親のメッセージに想える今日この頃である。

 

 さて、今後いくつ「これでおしまい」があるかも、私にとっては、精神的安寧の時になるであろうと想い、楽しみにも思えてくるのである。

然し、こればっかりは神のみずの知る世界で、ケセラセラで、行くしかないかと想っている。

 

全ては、川の流れるままに、自然に委ねたいといった心境である。

 

然し、7月で完了しようと予定した数ページの肉筆による記録が、突然の照明器具のダウンにより、8月に伸びたために、張り切っていた予定が伸び

更に、来月いっぱいの緊急宣言延長によるショックも堪えた。

 

やり残しているのは、ノートに書き残す数ページの記録と、61年ぶりに

ふるさとの母校に招いて下さり、、改めてふるさとへの愛情と生き甲斐を

学ばせて下さった、今はセカンドステージで頑張っている前校長先生に、

嘗ての、じゃじゃ馬に回復した私を、一度だけで良いから見て頂きたいと想っているのですが、益々、感染を広げるコロナ禍では、何時その願いが叶うのだろうかと些か、焦りを禁じ得ない。

 

その2点を終われば、すべては私も「これでおしまい」で納得がいく。

これまでに、十分生き切ったとと想っている。

文月の最後に、敢えて、私はこれ以上の想いは持っていないのである。

 

決して、悲観的な想いで取り上げているのではなくて、仮定的発想であるが、次なる私にでもできるための「これでおしまい」を意図しているのであれば、それが与えられた私の運命のミッションとして受け入れねばならないと考えている。