父の道具箱

昨日の「鋏の日」を機会に、10年前の今のマンションに移転するも、父親の道具箱」というか、「大工道具」は断捨離をすり抜けて、今も私の住まいに保管されている。

 

臆病で、心配症の私は、木箱に入った父親の痕跡が残るこの大工道具を始め、色々なものが詰め込まれている。

 

恐らく、無き父親も先を見込んで、用心深い人であった。

どうやら、私は、紛れもなくその父親の遺伝子を継承していると想う。

 

昨日の「鋏のに」に始まり、奥の引き出しから、父親の道具箱を取り出してみると、既に、忘れていた道具と以下、様々な道具が入っていた。

 

嘗て私が小学生の時代は、鉛筆は「肥後守の小刀」で、又ホッチキスや書類をまとめるときは、こよりを作り、千枚通しを使い、その穴にこよりを

通し、現在のホッチキスなど及びもつかないオーソドックであった。

 

未だ、袋ドジは生き延びているのではないかと思っていつが、いずれにしても、「手」の持つ力をフルに活用していた時代だと想った。

 

更に、金槌も数種類も残されている。

 

自炊をしていて、父親からの和風包丁の切れが鈍くなってきているが、私にとっては、父親が研いでくれた包丁で、必ず、我が手を切ってしまうので、切りにくいぐらいが、安全かと使っている。

 

唯、恐らく引っ越しの際に、「砥石」を忘れてきたことに、切れの悪くなった包丁を研ごうと、砥石を探しても見つからないのが悔やまれる。

 

今、私に最も必要なのは、頭を研ぎ澄ます「砥石」ではないだろうか。