昨夕の台風9号の夜空は、キャンバスに例えると、下地は薄青く澄んだ空を
白い雲と、グレーの雲が追いかけっこをしていた。
今朝は、風は強いものの、澄み切った台風一過の青空の東京だが、都心で
最高気温が35℃と、今年初の猛暑日と、熱中症アラートも発表された。
1997年の夏もとても、厳しい暑さと記憶している。
病弱だった私を案じ、心配の限りの一生だったと想っている母親は、私が6歳の時に子宮がんで、岡山大学病院で手術後、時を経て、東京での生活中
間もなく、乳がんを発症、手術をするも、僅か、2年後に、再発をした。
偶然、私が昨年9月の脳外科でお世話になった病院には、母親の東京での
縁があったドクターに執刀して頂き、薔薇の栽培をしていらした先生は、
母親の病屋に、朝摘みのバラの花を一凛持って、回診に来てくださった。
自宅で、静養中は、コロナ禍ではないが、窓という窓を開けても、母親は
「熱い、熱い」と訴えるのであるが、私は、母親の痛々しい胸に、氷水にタオルを持って、冷やし続けた。
「嗚呼、気持ちがいい。お願い、続けて」と、顔が穏やかになってくるのであるが、10分も持たないタオル交換に、氷水の冷たさに私の手は痺れてくるのを堪え、ひたすら、、繰り返した。
日中のむせ返るような暑さから、少し、風が出てきた。
窓には、2年前に亡くなった父親が、ふるさとから持ってきた鋳物で出来た茶色の古びた釣り鐘状の風鈴が、微かになり始めた。
「ああ、お父さんが呼んでるみたい」と、風鈴を見上げて間もなく、私に
「ありがとう、もう、十分よ」と、虚ろになり始めた目で、語りかけた。
やがて、私の語り掛けにも、反応を示さなくなった、私は、救急車を手配している間、窓辺の風鈴が気のせいか、一段と大きくなり始めた。
それと、同時に救急者が到着した。
既に夕刻7時過ぎだと記憶しているが、薔薇を持ってきてくださった先生に
看取られて、11時過ぎに、既に待っている父親の下に旅立った。
享年76歳、今年3月、私は亡き母の年齢の76歳を迎えた。
この季節の風鈴の涼やかな音色に、私は胸が痛くなるのである。