今朝8日の朝刊で、「自分史」という位置を定着し、自分史ブームの先駆けになった歴史学者の色川大吉氏の訃報を知った。
かれこれ、20年以上前だったと記憶しているが、区内の生涯学習課では
ボランティア講師による、体験や得意な分野などを、区内の希望者に対して、講師としての講座を開く場がある。
確か、生涯学習課のお手伝いをしている際に、編集経験がある私に、「自分史の書き方」について話をしてほしいとの依頼に、私は、お喋りではあるが、人様の前で話をしたことはなかったので、躊躇したが。
丁度、自分史ブームというわけで、募集案内を出すと、定員以上の受講者があったと聞く。
それならばと、私自身にとっては、壇上より皆様に話をするのは、全くの初めてで、どうなるかと案じていた。
当時は、まだ、パワーポイントではなく、紙資料の「レジュメ」である。
不思議に、いざ、始まると、受講生の真剣なまなざしに、これは期待に
応えねばと、レジュメもあるが、私は、自分の失敗談を話した。
この講座の講師を引き受けるとき、私の恩師に相談したところ、人は自慢話より、先ずは、講師の失敗談に、興味と共に、効果があると。
それ以来、私は、体験を通して、多くの失敗談を話すことで、ほとんどの受講生は生き生きとして、頷き、場が和んでくるのである。
2時間の講義も恙無く終わり、席に戻ると、数人のある程度の年齢の男性や女性が、分厚い原稿用紙を抱えて、私に目を通して、指導してほしいと
いうのである。
ある人は、これまでの人生を子どもたちに残しておきたいとか、貴重な歴史体験を元気なうちに書き残しておきたいとか、様々な想いが伝わり、汲み取れるのである。
然し、個別行為は難しく、断るとガクンと肩を落とす方たちに、私は心が痛んだが、規則なので、仕方がなかった。
この日から、私が「講師」という立場のスタートになったのである。
これこそ、私の「自分史」の一節と言える。