今日という9月11日には、筆舌に窮する映像が頭に鮮明に残っている。
不思議に11日という日に限定しても、東日本大震災が重なり、私自身にとっても、これまでの緩和ケア病棟のボランティア活動に区切りをつけた途端のこれまでに経験したことのない地震の恐怖を味わった。
その地震により、長年住み慣れた自宅を手放し、現在のマンションに移りざるを得ない状況になった等々、私の身近な身辺にも、大きな変化のある
11日という日付に、深夜まで、ブログを書く気力をなくしていた。
それは、些か、ネガティブに考えが傾いている状況で、日本経済新聞の朝刊で、自炊に疲れた時、利用していたコンビニが予てから無人化の傾向は他人事のようにスルーしていたが、、今後現実化していく傾向は免れないと察している。
一人住まいの私にとって、コンビニの店員さんに「おはよう」「こんばんは」といった、挨拶もなく、バーコードで決済を済ませるというシステムに、私は、声を発する機会が全くなくなる日もあり得るのである。
更に、夕刊紙の一面に、「消えゆく皆勤賞」と大見出しに、コロナの持つ
恐ろしさを、まざまざと実感したのである。
確かに、教育者にとっての、コロナ禍の「皆勤賞」は悩ましい問題だと理解できる現状がある。
今日は、二百二十日といわれ、季節的にまだ台風の影響を受けやすい農家では、ナーバスな日である通り、台風14号が北上している。
雑学上では、今日は「警察相談の日」で、1999年に制定され、全国の警視庁の相談番号は「#9110」と知ったが、相談するような問題が生じない平穏な日々を願っている。
あまりにも、11日という日は、「忘れてはいけない重い意味を持った日」と想っている一方で、コロナ禍において、長年培われた先人の遺産が時代の変化の加速化に、私は、年齢的に疲労感と、戸惑いを感じている。