相変わらず日課として、散歩は欠かせずに実行しているが、午前中は隣接する図書館の学習室で、手書きのできる資料整理に2時間、「三日坊主」に
ならず、続けている。
自宅に帰ると、疲労感を感じるも達成感に「毎日が日曜日」から、次への
目標探しをしている時間には、それなりのヒントをつかんでいる。
然し、何故かは自分でもわからないのであるが、ブログに対する気力が、
相変わらずストップ状態である。
学習室で、整理しているのは、親しい友人から「ドクターから、どこも異状はないが、症状名を付ければ、自律神経失調症と診断されたけど、どうしたらいいのかしら」との連絡が入る。
友人ばかりでなく、私も東洋医学の診療を受けた際に、同じように「自律神経失調症」と指摘された。
友人の相談に、私も、ブログに気力が湧かないことを含め、思い当たる症状があるので、幸い隣接する図書館で、「自律神経失調症」に関する図書を、10冊ほど抱え、、必要個所を纏める作業に取り組んだ。
あるわ、あるわ、思い当たる症例が列挙している。
友人からの相談をすっかり忘れ、私自身が「なるほど」と、参考になる処の症例に、夢中になって手書きで書き留めていた。
2時間の集中力は、年齢的に応える。
そこで、夕刻、管理人さんが帰宅後の清掃を気分転換に始めた。
自宅の周囲の街路樹は、嘗て、フランスの学校との縁もあり、マロニエに変わり、その落ち葉の量に辟易する程である。
今年59回を迎えるシャンソンの「パリ祭」では、世界で界で最も美しいといわれたシャンゼリは「オーシャンゼリ」と歌われるほどの存在感があるが、健康と、生活環境の為にと、夕刻、「落ち葉掃除」を始めた。
然し、その落ち葉の多さに、シャンソンの世界のように「枯れ葉」、「オーシャンゼリゼ」のようなゆとりのある心境にはならない自分の心の狭量に情けなくもあり、これも、自然の成り行きかと、ゆったりと構えなければいけないというのが、「自律神経失調症」には必須条件だという。
夕刻、踏みつけてしまう目障りな落ち葉を片付ける達成感と、満足感に、今後も、毎日の生活のリズムに加わるであろうと思っている。
その後、簡単な夕食を済ませ、自律神経失調症に良いといわれている処の散歩に、夜空を見上げながら出かけるとしようかな。