昨夜から、一睡もしないまま、月曜日の朝を迎えた私は、カーテン越しに
ピンクの色に、慌ててカーテンを開く。
5月にふるさとの知人から頂いたカーネーションの鉢植えであった。
季節外れとは言え、私には何より嬉しく、きっと、このカーネーションが
苦しんでいる問題に対しての、一つの灯に想えた。
不思議と、盛りのカーネーションとは違うが、2輪のカーネーションの花に
私は、希望の光を見出した。
朝の気温も、低下しつつある中で、カーネーションを案じていたが、数日の朝の低温にめげずに、咲いているのです。
毎日、本来の平常心を失った私には、思わず抱き締めたくなるほど、力づけてくれた。
か細く咲いたピンクのカーネーションの鉢を抱え、私は涙を流していた。
こうして、自然は私を支えてくれていると想うと、何とかして、相手の
気持ちを痛いほど、察し、伝えたいと願っている。
しかし、今は「時間」しかないと考えているが、私以上に相手は耐えているとしか思えないだけに、人柄を信じているだけに、その心情が分かるのである。
自然界もこれまでと違った気候変動に起因するのか、変化が生じている。
その世界で生きている人間は、精神的に、思わぬ変化を生み出しているのではないだろうか。
また、日常を取り戻しつつある中で、オミクロン株なる変異株ウイルスにより、精神的にナーバスになっている中で、思わぬカーネーションの開花は、私の心に安らぎを齎してくれた素晴らしい特効薬である。