昨夜はホテルで休養できる筈が、目が冴えて一晩中テレビのスイッチを切ることなく、唯、唯、ぼんやりと見続けていた。
前夜セットしたモーニングコールのお世話になることなく、一睡もできず
朝を迎えた。
朝食が、家庭的な素材で、味も気取りがなく、いつも、一人で済ませている食事が、心の拠り所になり、部屋に持ち込みも可能で、私が、危なげに見えるのか、慣れた手つきで、スタッフが盛り付けてくれる。
自宅では、到底できない環境でテレビを見ながら、ゆっくりと食事をとり
のんびりとできる小さな至福の時である。
寝付けなかったけれども、休養が出来たと喜んでいた満足感が、チェックアウトの時刻が近づくにつれ、また、微かに心の動揺が生じてきた。
有り難いことに、このブログを読んだ友人たちが、これまでの私を知る限りでは、想像できない状況が私の中で起こっていると、心配してくれる。
その一人から、「浄化作用が必要ね」と、私は、即座に「今、毎日の散歩を続けることで持ち堪えているのよ」と、答えたものの、かなり、重症化していると、気づき、何とかしなければと思った。
自宅に帰るはずの私は、自宅とは反対の医療機関に向かって歩いていた。
さすが、適切なアドバイスを受け、もう、「自分で自分をケアする」なんて、自惚れも甚だしいと知った。
帰宅後、医療者の力で、年内から何とか、体力が回復するようにと願い、
来週、先ず、主治医の先生に相談する依頼をした。
嗚呼、これで、一歩前進できると想うと、夕刻の風の冷たさも気にならず散歩に出かけた。
今日も、冴え冴えとした上弦の月と、珍しく羽田に着陸待ちの飛行機が
ランプを点滅させながら、スカイツリーの上空を旋回している。
昨年の9月、術後、個室から真正面に見えるスカイツリーを、毎日、毎日
見て、色彩鮮やかに変化する灯りに、私はずいぶん助けられたのである。
よって、今夜も、「散歩が浄化作用」に繋がっている。