昨日、楽しいひと時を過ごした友人が、「今日は冬至だから」と言って、
バックから、自宅のお庭で育った小さな柚子を頂いた。
早速、北風に冷え切った体を柚子湯で、浴室いっぱいに漂う柚子の香りに
昨晩、友人の細やかな心遣いに、涙が流れた。
頂いた柚子の一つを残した、柚子の香りが部屋中に、広がっている。
余韻を楽しむというか、今日も、幸せな気持ちが続くと思うと、これまでの苦しみが、嘘のように消え去っていく。
やっと、私は、昨日の友人とのひと時が、どれほど、私の長いストレスからの体調の回復に、功を奏してくれたことかと。
そんな気持ちが強く、一つだけ、柚子を残しておいたのである。
以前、ブログにも書いたが、柑橘系でもミカンの香りには、どうも幼児体験がフラッシュバックするせいか、ミカンの皮の匂いが苦手である。
私が母校に進学する前の3歳までは、隣町の磯の香りのする港町に疎開していたが、必ず、どこの庭にも、夏ミカンを植えていた。
後に、海風を避けるための防風林のような役目をしていたと知った。
果実は今の夏ミカンからは想像できないほどで、口が曲がるほど、すっぱくて、当時は塩をかけて、おやつにしていた記憶がある。
後に、母親がその夏ミカンの皮でマーマレードを作ってくれた。
不思議に夏ミカンに対する拒否反応はなく、懐かしい思い出である。
心にゆとりがない時こそ、自然の豊かな恵みで、人は元気を取り戻すことを、友人のお庭の心のこもった柚子に、久しぶりにふるさとの「姫ゆず」の香りと重なり、幸せな日を今日も過ごせる私がいる。