今、私は、2021年の手帳から、2022年の手帳のバトンタッチ、引継ぎをしている。
毎年、新しい手帳の最初のページは、丁寧に、字も揃って書き込んでいるが、日を重ねるにつれて、字は乱れ、書きなぐっている。
今、2021年の手帳も、まさにその通りで、今年は特に前期と後期の違いは
心身ともに格差が激しく、字にも正直に表れている。
今年最後の散歩の途中で、夕闇の深くなった空に、飛行機が赤とグリーンの点滅をしながら、上昇中である。
恐らく、先ほどの飛行機にもふるさとに帰る人達が利用していることだろうと、ふるさとに想いを馳せていた私は、冬休みに入ったので、諦め気味で、母校のブログを開いた。
ところが、母校のブログはアップされていたのである。
何と2学期の終業式は久しぶりに、全校児童が体育館で迎えたそうだ。
給食の紹介もアップされていて、嘗て私もごちそうになった「キムタクご飯」に、懐かしい大きな大きな「アタゴなし」のデザート付きです。
更に、「冬休みの校庭」と題した母校の数々の春を告げる菜の花や、イチゴ、元気に成長している小麦、ソラマメ等々と、限りなく多くの花や野菜が、「あさくちブルー」の陽光を浴びて、生き生きとしている。
担当の先生によれば、「冬は来るべき春に備えて、地面にしっかり根を張る大切な時期なのです」と。
新しい年を迎える前日、しかも、私は後半は心身ともに乱調気味だっただけに、来る2022年は、もう、同じスパイラルに陥らないようにと、心に誓っている。
その私に、母校の先生の「冬は春を迎えるために大切」という言葉に、私の冬は、次なる実りのために必要だったということだったと、改めて、想いを受け止めることが出来た。
2022年の手帳に予定を書きながら、どんな楽しいことが待っているのだろうかと、穏やかな「good bye 2021」の夜を過ごしている。