2022年2月からスタートした日本経済新聞の前文科庁長官の宮田享平氏による「私の履歴書」が楽しみである。
前文化庁長官は、1945年6月8日、鳥取の佐渡島での出身で知る。
おこがましいが、1945年に生を授かった私は、早生まれなので、学年とは
1年の後輩になる。
2022年2月から始まった日本経済新聞連載の「私の履歴書」が、わが時代を、これまでの5回の連載に、私は、懐かしい戦後間まもなくの時代に対して、佐渡島と瀬戸内との地域差こそあれ、懐かしさを彷彿とさせる。
その一つに、今日5日に「肥後守」という二つ折りの小刀の記載について、
母親任せの父親が、長年愛用している「肥後守」を、私に伝授した。
毎日、特に地元の特産物である、特産物の麦によるストーとか、麦稈真田
撚糸によるバンコック帽を、主にアメリカに輸出していた父親は、毎日、
几帳面に帳簿を記録していた。
当時はまだ、ボールペンなどなく、鉛筆を使用するか、インクツボにペンを浸し、記録していた。
その際に、記憶を辿れば、鉛筆には「肥後守」を使用していたのである。
ある日、私に、そろそろ、使用も安全かと思ったのか、父親から肥後守を渡され、注意事項を始め、珍しく私に使い方を教わった。
今、、宮田亮平前文化長官に「肥後守」の記載を見つけ、同世代としての
親しみと、懐かしさを覚えるとともに、今も、私も大切に愛用している。
未だに素晴らしい切れ味の「肥後守」を検索すると、5代伝承の唯一無二の
「肥後守」は続いているが、誰かが、日本人の誇るべき伝統を声を大きく伝える使命を必要としている。
今の日本人は、「手が寂しい」といった高齢者の言葉が忘れないでいる私は、例え「犬の遠吠え」と言われても、伝えていかなければならない年齢と、想っている。
日本人は、先達の残した歴史に対する畏敬の念が失われていると想うと、
確かに、3年を迎えるコロナ禍の中での、後世に思い付きでなく、しっかりと自信をもって残せる思慮深さを案じている。
日本人の長所であり短所でもある熱しやすく冷めやすい特性を考えさせられたということは、既に私が時代遅れと言われても動じないつもりだ。