コロナ禍、嘗ては東京都内の各地で、ふるさとの自慢の産物や伝統料理を地域の公園などを開放して、にぎやかな特産物の出店で賑わっていた。
然し、今は、逆に、これまでの人との繋がりを容赦なく断ち切るのを止む無くする時代が続いている。
彼これ、20年近く前に、江戸川区か、江東区か、記憶は飛んでいるが、今日のように、極寒の冬晴れの日である。
友人から、「どんがら汁」を食べに行かないと誘われ、私は想像もつかないまま、友人と出かけた。
途中で、山形の庄内地方では、極寒の続く季節、旬の脂ののった「寒鱈」
を丸ごと、ぶつ切りにして、内臓など余すところなく全てを鍋にいれて、晦日、酒かすで煮込んだところを、フウフウ言いながら、食べるという。
今日は、それを都内在住の出身や、都内の人に振舞ってくれるという催しである。
「どんがら汁」の店の前は、凡そ50人以上の人が、寒さに背中を丸めながらも辛抱強くまっている。
如何に美味しく人気のほどが分かる。
やがて、中身は白い切り身とやはり口に入れると、優しく溶けてしまいそうな白い肝が、何とも言えずに、熱いのに味がしっかりとしている。
瀬戸内で生まれの私には、想像もつかないダイナミックな方法で捌いた冬の味覚に、身も心も温まった、思い出を懐かしく思いだした。
昨日17日の日本経済新聞の朝刊のコラム欄「春秋」に「どんがら汁」の
掲載を見つけ、何時になったら、また、楽しく集い、明るい笑顔の日が
戻ってくるのだうかと、想った。
素晴らしい郷土の旬を生かした伝統料理さえ、このまま、コロナがしぶとく居座るようであれば、未来の子どもたちのために、機会を作れるようにしたいものだ。。
「鱈」は字が示す通り、冬であり、私のふるさとの岡山では、市場でも、先ず春の訪れを告げるのは、岡山の鰆かと言われているそうだ。