リクエストした図書の返却が迫り、昨晩から今日は時間が許す限り、必死に読んだ。
というのは、既に次の利用者が待機しているために、もし、次回の利用者がいなければ、2週間のワンクールの延長ができるのだが、出来なかった。
時間のゆとりができたので、枯渇してきた知識補給のために、無性に本が読みたくなったきた。
読書に励んでも、注意しているのは、読み終えた図書というか、著者の表現が頭に残って点に注意をしている。
何故ならば、気が付くと、読み終えた著書の表現がつい浮かんでくるから
出来るだけ、苦しみながらも、自分の言葉を見出して、表現したいと想っている。
本題の返却しなければならない図書とは、2021年12月17日、岩波書店から刊行された新書の今野真二著「うつりゆく日本語をよむーことばが壊れる前に」である。
現在、私は下手の横好きで、ブログを毎日続けている。
今回、今野真二氏は著書の中で、「話しことば」「書きことば」「打ちことば」の3点を著わしている。
「書く」作業というのは、前者の2点に加えて、パソコンを始め、スマホ等々による表現が一つ加わったことに、今まで、時代の流れとして、至極当然のように思い込んでいたが、「打ちことば」が存在する。
更に、私がこれから脳活のために、目標にしようと決心したことに対して
的確な指摘をしている。
許可なく紹介掲載するのは、違反かと案じながらも、文章表現において、
大変貴重な参考するに値するので、お許しいただきたい。。
言語表現に関していえば「書き手」が「読み手」を想定し、意識することは必要であるので、それはいい。しかし過剰に「読み手」側に寄り添い、
「読み手」側に先まわりすることによって、「書き手」と「読み手」との境界線が曖昧になることもある。(原文)
私はこの部分に、身が引き締まる想いで、目覚めたのである。
今後の私にとって、「バイブル」的存在を意味している。
唯、新聞に対する事例が、出来れば一紙だけでなく、他紙との表現の比較差を記述してほしかった。
返却期限に迫られての慌てて読んだせいもあるので、今後も継続して読み込んでいかないと、私は多くの難解な箇所を残しているので、落ち着いて時間をかけて読み込んでいきたいと想っている。